STORY創業ストーリー

#01忘れられない光景。

「最近、肩が痛くてさぁ」

トレーナー留学を終えた代表の鈴木がアメリカから帰国した27歳のとき。地元のスポーツクラブでそこに通う会員たちがカラダの不調について話している光景を見ました。

さらに観察していると、その人たちはフロアにあるトレーニングマシンをいくつか回りながら10回×2セット、というトレーニングを繰り返しています。その様子を見ていた鈴木は、さっき彼らが話していたカラダの痛みを「治すための」トレーニングをしていないことに違和感を抱きます。

トレーナーはいるけれど、学生アルバイト。アメリカにはあった「痛みを改善させるための運動」を教えてくれるアスレティックトレーニングサービスは日本にないのだろうかと考えました。

筋トレ、ダイエット、リフレッシュ。日本の多くの人びとが運動をする理由の3大テーマに、「機能改善」というテーマをもうひとつ付け加えるべきじゃないか。これこそが、今でも変わらないR-bodyが生まれた動機のひとつです。

#02トレーナーという職業の現実。

トレーナーの本場アメリカで武者修行をしてきた鈴木が、日本に戻ってきて抱いた違和感はもうひとつありました。それは、「トレーナーという職業の地位」について。

とあるナショナルチームに帯同して世界中を回ることになったときのこと。誰も鈴木のことをアメリカのように「アスレティックトレーナー」として見ておらず、報酬も十分な金額とは言えないものでした。

また、アメリカのスポーツの現場では、アスレティックトレーナーは「準医療従事者」と呼ばれ、実際に自分の手を使ってどこかに痛みのある選手に対して施術することができますが、日本ではそのような行為は許されません。

自分で磨いてきた「手」が使えない。日本に戻ってきたとき、鈴木は「自分はこの先なにをすべきか」を考えました。医者になるか。理学療法士になるか‥‥。同時に、一匹狼の職人として自分の腕ひとつで食っていく人生でいいのかという葛藤もありました。

#03本当の「選手のため」とは。

日本のスポーツ業界におけるトレーナーに対する評価の低さに愕然とした一方で、鈴木は初めて帯同したナショナルチームで、他の多くのトレーナーたちがそうであるように、選手たちからの信頼を得るための行動に出ます。

選手も代表レベルのトップアスリートなので、商売道具である自分のカラダを簡単に他人に預けてくれません。そこで、自分の「腕」を披露すること、つまり、自らの知識やスキルを総動員させた手技を通じて、まるで魔法のように「一発で痛みを取り除くこと」によって信頼を勝ち得ていきました。

選手たちから信頼される。腕も磨かれる。順風満帆に見えましたが、鈴木の頭には、別の考えがよぎります。

この調子でつづけていれば、「ゴッドハンド」と呼ばれるかもしれない。けれど、自分という存在に依存したままで根本的な痛みの解決をしなければ、選手は「痛くなる→治してもらう」を繰り返すのではないか。

長い目で見てその選手のためになっているのだろうか。そんな葛藤の中で、「痛くならないカラダづくりを覚えてもらうこと」‥‥それこそが、トレーナーの役割なのではないかと考えました。

#04日本人の手は世界一。

繊細で、器用で、しなやか。

日本人の手は、トレーナーという職人として世界一の資質を持っていると思います。そのため、医・科学的な知識を身に付け自らの手技を極めることで、トレーナーの腕ひとつでカラダの痛みを取り除くことは不可能ではありません。それはもちろん日本人として誇らしいことですが、鈴木は考えました。

「自分が職人としてカリスマトレーナーになることで、自分の見たい世界はつくれるのだろうか」

トップ選手の痛みを自らの腕ひとつで解決できることは、いちトレーナーとしてこの上ない喜びです。一方で、痛みの根本を解決しなければその選手はまた同じところが痛み、また自分のところにやって来なければなりません。

他人が痛みをとることは、いわば風邪の人に特効薬をあげるようなこと。痛みの出ないカラダ作りをサポートすることは、風邪を引かないための手洗いうがいの仕方を教えてあげるような、地道で、すぐには感謝されないことかもしれません。それでも、長期的な視点を持ってその人のカラダのためにすべきことを突き詰めたら、自分の進むべき道が見えてきました。

#05部活のような会社。

トレーナーという職業に対する認識や価値を転換していくこと。トレーナーの持つ専門的なノウハウを広く社会に役立てていくこと。人びとの価値観を丸ごと変えていくような取り組みを行うこと。根本的な痛みを解決するために運動の知識を伝えていくこと‥‥。

こういったあらゆる問題意識と志を胸に、2003年、R-body projectは生まれました。当時、鈴木は32歳の大学院生として学生証を持ったままの起業でした。ビジネスについての知識を一切持たないままの起業でしたが、鈴木は「すべては部活動で学んでいた」と振り返ります。

同じ目的に向かってひとりひとりに役割がある「チーム」であること。独りではたどり着けないゴールに向かっていくこと。スポーツの現場から学んだそれらのことを会社経営に活かしました。

さらに、頭の中にあるビジョンを実現させるためには、「同志」の存在が不可欠だと鈴木は考えました。鈴木の想いに共感したトレーナーはもちろん、大学の研究者や医療現場の先生方など、志を共にする方々とのコミュニケーションの機会を増やしていきました。

#06100年後、存在しない職業。

R-bodyでは一般的なトレーナーのことを「コンディショニングコーチ」と呼んでいます。人を導いていく役割という意味を込めて、コーチとしています。いわば「先生」と言えるかもしれません。

私たちは、いつかはトレーナーという仕事がなくなるのではないか、と考えています。それは、読み書きや四則計算と同じように、こどもの教養のひとつとして「コンディショニング」がある未来を想像しているからです。100年後には、学校の先生がコンディショニングを教えているかもしれません。

痛みに寄り添い、自らの「手」でカラダの不調を改善させるのではなく、カラダと運動にまつわる正しい知識を広めて、その人にとってのトレーナーがその人自身になること。そこに導いていくことが私たちトレーナーの使命なのではないかと考えます。

余談ですが、鈴木の両親はどちらも小学校の先生。何年経っても全国の教え子の結婚式に招待されるほど人徳のあった両親だと言います。そのような尊敬する父母の姿を見ていた鈴木にとって、トレーナーが教育者という立ち位置になるビジョンを描くことは必然だったのかもしれません。

#07社名に込められた想い。

「『人』のカラダを再生させること」。設立当初、それが自分たちのやりたいこととして「R-body」と名付けました。『人』というのは、限られた一部のトップアスリートだけではなく、老若男女すべての人を指します。ホンモノのトレーナーのサービスを、届けたいと考えました。

さらにそこに、「project」と付いているのは、そういう世の中をつくりあげていく壮大な計画という想いがあったからかもしれません。「かもしれない」というのは、代表の鈴木自身は、社名に強い想いと覚悟を持って決めたというより、感覚で決めたと話しているからです。

R-bodyは、「このビジネスは儲かる」ではじまったビジネスではありません。トレーナーという職人として得た技術や知識をどうやったら人の役に立てられるか、ただそれだけを創業以来考えてきました。その結果として、日本におけるアスレティックトレーナーという職業の地位向上に寄与できればと思います。

2020年。いよいよ「医療と運動」の距離を本格的に縮めていきます。約20年前、地元のフィットネスクラブで見たあの光景を変えるために。