コンディショニング対談 No.03健康な100歳をつくる。

伊達公子×鈴木岳.(R-body)

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伊達公子×鈴木岳.(R-body)

これまでR-bodyにおいて500名を超えるオリンピアン、トップアスリートがコンディショニングに取り組んできましたが、現役を引退してなお継続しているのはふたり。そのうちのひとりが伊達公子さんです。目指しているのは大好きなテニスを100歳までプレイすること、そして120歳まで自分のことは自分でできる健康カラダでいること。人生100年時代と言われてはいますが、国のサポートが保証されているわけではない今、カラダとどのように向き合えばよいのか。コンディショニングをめぐる知と熱をここに。

*本文中は敬称略とさせていただいています。
*2021年12月9日 柏の葉 KOIL TERRACEにて収録

鈴木: 痛めた左足のふくらはぎのことでお会いしてから9年半、時間が経つのは早いですね。

伊達: 本当に。あの時の私、ピリピリしていました?

鈴木: いえ、トップアスリートならではの緊張感はありましたが、人を寄せ付けないような感じではありませんでした。

伊達: 良かった。試合では強い自分を出さなければならないけれど、カラダをケアしてもらうときは、逆に自分の弱いところを見せなければならないですよね。初対面でしたけれど、きっと心をオープンにできる雰囲気があったからだと思います。

伊達公子×鈴木岳.(R-body)

「体を動かすと、心が喜んでくれる」

鈴木: 今、R-bodyには週2回ですか?

伊達: はい。早めに来てセルフウォーミングアップを約30分、パーソナルトレーニングを50分。終わったら皇居の周りを1周ゆっくりランニング。1週間にこのセットを2回とテニスを1回やっています。カラダを動かすと、心が喜んでくれる。引退して4年、運動することの大切さをますます強く感じるようになっています。

鈴木: R-bodyでコンディショニングを行ったオリンピアン、トップレベルのアスリートは500名を超えますが、引退しても続けているのは伊達さんを含めて2人だけです。

伊達: 最近始めた登山と再開したスキーをきちんとやりたい、そしてなんといってもテニスをできる限り長くプレイしたい。そのために手術した膝、肩のコンディショニングをとくに重点的にやるようにしています。

鈴木: コンディショニングとは、コンディション=体調をより良い状態に整えていくこと。100人いれば100通りのコンディショニングがあります。睡眠時間を8時間とると調子が良いという人は8時間寝ることが、朝、トマトジュースを飲むと体調が良いという人はそれがコンディショニングです。R-bodyがサポートしている領域は、運動器と呼ばれる筋肉、神経、骨の機能に関わる動作のコンディショニング。伊達さんのようなトップアスリートだけではなく、健康を望むすべての方に必要なことです。

伊達: 私、なんでもできるように思われることが多いのですが、R-bodyにいる時を見たら驚くと思いますよ。本当に苦手なことしかやっていないので。でも、それが積み重なって、はじめてパフォーマンスが上がるということがわかっているからやり続けられる。

鈴木: 当然のことですが、トップアスリートの方々は自分のカラダに敏感です。カラダに本当に良いことだけを行います。怪しいことには手を出しませんし、流行に飛びつくこともありません。R-bodyがバリューとして位置づけているのは「ホンモノを身近に」。すなわちトップアスリートの方が行うコンディショニングを一般の方々に、より広く深く伝えていくことを第一義に考えています。

伊達: 実際、私がやっていることと会員の方がやっていることは、強度や回数はべつとして、ほとんど同じですよね。逆に私のほうが会員の方のトレーニングを見ていると「あんなことができて、いいなあ」って、思うこともあるぐらいです。

 伊達公子、1970年9月28日京都市上京区生まれ。鈴木岳.、1971年2月23日西多摩郡奥多摩町生まれ。同じ学年に生まれたふたりの軌跡は、約450キロ離れた場所でスタートを切った。
 1988年、伊達公子は全国総合体育大会(インターハイ)で、シングルス、ダブルス、団体で優勝。史上22年ぶりのインターハイ3冠を達成し、高校卒業と同時にプロテニスプレイヤーに転向。オーストラリアンオープンでグランドスラム初のベスト16入り。1990年、ウィンブルドン選手権女子シングルスで初の1勝。翌年、バージニアスリムス・オブ・ロサンゼルス大会でツアー初の決勝戦進出、世界にその名を知られることになった。
 1993年6月、ウィンブルドン選手権開幕2日前、ベスト8入りをめざしてゲーム形式の練習をしていたときのことだった。はげかけた芝の上で滑り、逆を取られた左足内足側副靱帯を完全断裂に近い損傷。理学療法士(フィジオ・セラピスト)が──今では考えられないことだが──まだ現地入りしていなかったので、とにかく左膝を冷やそうと、氷がある場所を尋ねると「バーにあるよ」。足を引きずってバーに行くと、手渡されたのはアイスキューブがわずか6個入ったグラスだった。
 ちょうどその頃、鈴木岳.は長距離バス、グレイハウンドに乗りこんで北米大陸をめぐっていた。
「日本人選手のオリンピックのメダル獲得のサポートをしたい」。大学4年の夏 “トレーナー”の5文字に出会い、トレーナー界最高峰の資格、NATA–ATC取得のためにアメリカ留学を決意。しかし当時の日本にはトレーナーについての情報は無いに等しく、ようやく探し出したガイドブックのリストに掲載されていた大学のいくつかに手紙を出したものの、なしのつぶて。待っていてもしかたがないと渡米したところ、ガイドブックの情報が古すぎて役に立たないことが判明。図書館で調べ直し、片道切符とトランクを手に、大学探しの旅に出たのだった。

伊達公子×鈴木岳.(R-body)

伊達: R-bodyはカラダの仕組みを学べる場所。ジムに大きな骨格見本が置かれていますよね。あれを使って説明されると、ストーンと納得できる。ここがこうなってしまっているから、痛みがここに出るんだなと。

鈴木: 腰に痛みがあるとき、腰をマッサージすると効果はありますが、しかし時間が経つと元に戻ってしまいます。なぜかというと腰痛の原因は腰ではなく“姿勢”にあることが多いからです。肩こりも同様です。この場合の“姿勢”が指すのは静止状態ではなく、動いている姿(動作)、すなわち所作。所作を直すには「これが良い姿勢だ」という指令を出すことを脳に覚え込ませること、カラダがその指令に反応するようにすることが必要です。端的に言えば、運動を継続しないと人のカラダは整わないのです。さらに言えば、痛みが出てからでは遅い。まず大事なことは今の自分のカラダがどうなっているかを確認すること、症状は出ていないけれども、放っておくと問題が起きるところを知り、未然に防ぐことです。

「目標はトレーナーを必要としない社会の実現」

伊達: 原因と結果の関係を理解できるようになってからトレーニングがすごくおもしろいと感じられるようになったし、習慣化できるようになりました。

鈴木: 「R-bodyのトレーニング、地味なものばかり。スカっとするものはないの?」そういうような声をよく耳にしますが、どうですか?

伊達: スカッとするものではないですね(笑)。でも、R-bodyでトレーニングをすることがゴールではないし、一つひとつの「なぜならば」が腑に落ちているので地味でも集中できます。ファーストキャリアの1990年代は理由がわからないままトレーニングをしていたんですよね。ただ汗をかくということも好きですけど、カラダの仕組みと動きがリンクしてきた今のほうがすごく楽しい。

鈴木: R-bodyの目標は自分で自分のカラダをしっかり管理できるようになっていただくこと。言いかえればトレーナーを必要としない社会の実現です。トレーナーがいなければトレーニングできないという人が増えれば、商売としてはいいのかもしれませんが、それは本質ではない。コンディショニングを行う場所はR-bodyでなくてもかまいません。でも確信をもっておすすめしたいのは、プロの目を通して自分のカラダについての情報を得ることです。

1994年、ニューサウスウェールズオープンで海外ツアー初優勝をかなえた伊達公子は、日本人選手として初のWTA(Women’s Tennis Association)ランキング・トップ10入りを達成。翌1995年にはランキング4位まで駆け上がった。
 1996年、フェド杯でWTAランキング1位のシュテフィ・グラフに勝利。同年のウィンブルドン、グラフとの準決勝は日没延長。決勝進出はならなかったが、2日間の激闘は人々の記憶に深く刻まれることとなった。
「ほんの数年前、ウィンブルドンに出られただけで喜んでいたわたしが、ここまでこられたのですから、これ以上何の望みもありません。ほんとうに満足しているのです。しばらくのんびりと休養しながらやりたかったこと、やってみたかったことにチャレンジしながらゆっくり考えて新しい目標を見つけ、頑張っていこうと思っています」
 WTAランキング8位、26歳での引退の翌年、鈴木岳.はワシントン州立大学教育学部のアスレティックトレーニング・プログラムをほぼ最短の2年半で修了し、NATA–ATCの試験に合格。カリフォルニア・ユニバーシティ・オブ・ペンシルべニアの大学院に進み、不自由なく生活できる収入を得ながら学んでいると、日本から連絡が入った。
「フリースタイルスキーのナショナルチームを手伝ってくれないか」
 日本選手のオリンピックでのメダル獲得をサポートすることが、トレーナーへの道を選んだ動機だったから、考えるまでもなかった。大学院を辞め、部屋を引き払って帰国。全日本スキー連盟から提示された条件は日当3000円だった。
 2002年、ソルトレイクオリンピックの女子モーグル競技でサポートしていた里谷多英が銅メダルを獲得。その2年後、伊達公子がロンドンで初のフルマラソンを3時間27分40秒で走った2004年、鈴木岳.はR-bodyプロジェクトを設立した。

伊達公子×鈴木岳.(R-body)

伊達: オリンピックにはバルセロナ大会とアトランタ大会の2度出場しましたが、フィットネスセンターの存在を知りませんでした。

鈴木: 今回の東京大会でも言われました。「こんな施設があったのか」と。IOCのルールで、ポリクリニック(検査機器を備えた大型診療所)とすべての選手がトレーニングできるフィットネスセンターを選手村にかならず設置することと決められています。ですから、従来もあったことはあったのですが、両者はまったく離れたところに位置していたんです。

「全身にザワっと鳥肌が」

伊達: どうしてですか?

鈴木: 両者が関連づけられていなかったからです。しかし、スポーツ医学に基づいたアスリートサポートを行うためには、医療とフィットネスの連携が絶対に必要です。選手もサービスする側の人もスムーズに行き来できる動線が確保されなければなりません。両者を同じ建物に収め、連携させたのは今回の東京大会がオリンピック・パラリンピック史上初めてでした。

伊達: 鈴木さんがそれを強く推進したんですよね。実現までどれくらい時間がかかったんですか。

鈴木: オリンピック閉会と同時に次の大会へのプロデュースが始まるので、今回はリオデジャネイロ大会から5年越しです。

伊達: フィットネスセンターのつくりも大きく変えたと聞きました。

鈴木: はい。R-bodyと同じように、コンディショニングスペースを広く取りました。変更に迷いはありませんでしたが、開村初日のオープン前、ひとりフィットネスセンターに立ったとき、全身にザワっと鳥肌が立ちました。だれも来なかったらどうしようと。

伊達: 結果は?

鈴木: 入館者数はオリンピックが延べ約54000人、パラリンピック約1300人。ピーク時はオリンピックが1日約3000人、パラリンピックが1300人。

伊達: すごくたくさんいらしたんですね。

鈴木: ええ。コンディショニングに対する関心と評価も高く、ビデオ撮影して持って帰る国もありました。

伊達: 時代が大きく変化していますね。すべてが科学的になってきている。世界のテニス協会にも、大会をつくるときには、かならずジムをつくらなければいけないという条件ができましたし。

鈴木: ここ数年、変化の波が一気に来たように感じます。

伊達: 90年代の日本は、練習前、コートを2、3周走って、準備体操して終わり。アクティブストレッチなんかありませんでしたから。

鈴木: 伊達さんのようなリテラシーが高い選手が増えたことが、現場で感じるもっとも大きな変化です。一昔前は練習や試合が終わると、選手がベッドにゴローンと横になって「よろしく」。今は「とりあえずマッサージ」はほとんどない。自分のカラダを見つめ、考え、整えるようになりました。今日はここがちょっと調子悪いので、ここをこういうふうにお願いします。ここはやらなくていいです。こういうことを教えてください。選手の方からそういうことをリクエストしてくる。

伊達: 今は選手も忙しくなりましたよね。やることがたくさんある。「伊達さん、怪我が多いので、これだけはやってください」「もう少し、短くしてもらえませんか? 20分くらいで収まるようにしてください。ただでさえ誰よりも早く会場入りしてアップをしているんですから」「とにかく、これとこれとこれは必ずやってください」「そんなにたくさん、困ります!」。年齢を考えると仕方がないのですがR-bodyのトレーナーの方とそんなやりとりをすることもありました(笑)。

「日本の現役プレイヤー、これから世界をめざすプレイヤーに私だからこそ伝えるものがあるのではないだろうか」
 2008年4月、伊達公子は11年半ぶりにプロテニスプレイヤーとしてコートに立つことを決断。37歳、復帰ではなく「新たなチャレンジ」だった。
 11月の全日本選手権でシングルス、ダブルスを制覇。翌年、舞台を世界に移し、ハンソル韓国オープンで優勝。38歳11カ月の優勝はWTAツアー史上歴代2番目の記録だった。40歳で挑んだ2011年のウィンブルドン大会、2回戦で同大会を5回制していたヴィーナス・ウィリアムスと対戦。敗れはしたが2時間56分の熱戦は大きな拍手と歓声に包まれた。
 新たなチャレンジは世界の注目を集める一方、10代、20代の選手と向き合わなければならない肉体は度々悲鳴を上げるようになっていった。
 2012年6月、かつてアキレス腱を切った左足のふくらはぎに重度の肉離れを発症。どうすれば故障しない体をつくることができるのか。WTAのフィジオ・セラピスト、日本テニス協会、ドクター、相談した三者が指し示す方向は、申し合わせたかのように一致した。「鈴木岳.さんのR-bodyへ」

伊達公子×鈴木岳.(R-body)

鈴木: 長寿の家系だとうかがいました。

伊達: 女性に限ってですけれど、祖母が98歳、祖祖母が103歳、それから本家に108歳の女性が。だから私は最低でも110歳。120歳も行けるんじゃないかなって思っています。きちんと健康な状態で。

鈴木: まったく問題なく行けそうですね(笑)。

「100歳まではテニスをやりたい」

伊達: この間、90歳を過ぎた方がナダルとテニスをしている映像を見たんですけど、ちゃんと打っているんです。私も100歳まではやりたい。

鈴木: 日本人の平均寿命(平成2年度版厚生労働白書)は男性が80.98歳、女性が87.14歳。これに対して健康寿命、つまり日常生活を制限なく過ごせる年齢の平均は男性72.14歳、女性74.79歳。お孫さんといっしょに旅行に行き、手をつないで歩くか、膝が痛いからと座って待っているか。健康寿命を延ばして平均寿命との約8〜12年の空白を埋めていくことは、これからの日本の大きな課題ですし、しかも自分たちでなんとかしなければならないことです。人生100年時代と言われるようになりましたが、国は100歳までサポートするとは言っていませんから。

伊達: 「今日やるトレーニングの効果が現れるのは3カ月後」。10代の時にコーチから言われたこの言葉のおかげで、どんなにトレーニングが苦しくても投げ出さずにすんだのですが、衰えを感じるようになった今も、やっぱりこの言葉に奮い立たされる。今、がんばらないと100歳のときにテニスができなくなる。だから1日1日積み重ねていこうと。

鈴木: 日本は世界有数の長寿国であると同時に保険サポート国家です。保険証1枚あれば3割負担で、かなり良いサポートが得られるので、どうしても予防に意識が向きにくくなる。一方、世界には日本のような保険制度があるところはほとんどありません。だから予防に対する意識はすごく高い。伊達さんはアスリートなので、コンディショニングに対する意識が染みこんでいますが、平均寿命を考えたら、私たち一般の人間もいよいよそういう意識を持つ必要があるのではないかと感じます。

伊達: 今日はどうかな? 私の1日は、朝目が覚めたときに自分のカラダにそう問いかけることから始まります。どこかに引っかかることがあるときは、トレーナーの方とコミュニケーションをとって整え、できる限り問題が大きくならないように努めています

鈴木: 車は具合の悪い部分を交換できますが、カラダはそうはいきません。加えて健康は貯金できませんから、つねに良い状態に整え続けなければ、スポーツに限らず、やりたいことができなくなってしまいます。コンディショニングに一夜漬けはありませんから、継続がすべて。もうひとつ大切なのはなにかあったときのバックアップ体制を確保しておくことです。

伊達: やりたいことをかなえるために、とにかく健康で、しっかり体を動かせる状態を保ち続けたい。

鈴木: やりたいこと、というのは?

伊達: 次世代の子どもたちのなかから、できる限り早く、世界で戦える女子選手を送り出すこと、それが最大の目標です。スポーツを取り巻く環境が科学的になって、私が最初に世界に行ったときとは大きく変わってきていますが、それでもまだ私自身が経験してきたことを伝える意味はあるだろうなと思っています。今、大坂なおみ、錦織圭という2大スターがいますが、彼らは幼少期からアメリカにベースを置き、整った環境から世界に駆け上がっている。日本ではそれは不可能かというと、私はできると思っているんです。すでに活動をスタートさせていて、いずれは日本のどこかに大きなスペースを確保してアカデミーを作りたい、次世代の子どもたちで夢をかなえたいと心から願っています。

鈴木: ぜひ実現させてください。

伊達: アカデミーのコンディショニング・サポートをお願いしますね。

鈴木: わかりました。ぼくも120歳まで元気でいられるよう、がんばります。

伊達 公子

伊達 公子KIMIKO DATE

テニスプレイヤー。高校卒業と同時にプロ転向。全豪、全仏、全英でベスト4入り。
自己最高世界ランキング4位。2度のテニスキャリアを経て、2017年引退。
現在はジュニア選手の育成、テニスの環境整備に注力。テニスコート、スポーツスタジオなどもプロデュース。