コンディショニング対談 No.06親から授かったこのカラダで 命尽きるまで豊かに生きたい
小平奈緒×結城匡啓×鈴木岳.(R-body)
4月1日、つくばエクスプレスの柏の葉キャンパス駅からゆったりした時間が流れる歩道を歩くこと約4分、ガラスに包まれるようにそびえ立つKOIL TERRACE(コイルテラス)。その入り口の前に、最初の3人が姿を現したのは朝8時。以後、人の列は、日傘の花を咲かせ、山形、福岡、熊本から駆けつけた人を混じえながら、KOIL TERRACEを巻くように伸び続けた。午前11時、会場の250名、国内外からのオンライン参加240名の視線のなかに立った小平奈緒は、ゆっくり会場を見渡すと、窓の外にそよぐ柔らかな春の風のような笑顔を浮かべた。『こんなにたくさんの人が足を運んでくださったんだ』。小平奈緒、結城匡啓、鈴木岳.、キャリアをたどれば、あっという間にこのスペースが尽きてしまう3人だが、その主語は「金メダリストの私」でも「金メダリストを育てた私」でも「金メダリストをサポートした私」でもなかった。壇上から立ち上ったのは、純粋な知と無垢の熱、そして心温まるユーモア。濃密で生き生きとした言葉は会場を駆け巡り、感嘆符を、拍手を、いかにも楽しげな笑顔を誘う。時間は羽が生えたように過ぎていき、3人が退出してなお、高揚は消えず、漂っていた。
*本文中は敬称略とさせていただいています。
*本対談は2023年4月に行われた内容です
小平: 相澤病院所属の小平奈緒です。競技生活を終えて5カ月になります。現役中はR-bodyでコンディショニングのお世話になり、競技のパフォーマンスを上げるためにサポートをしていただきました。朝、このあたりを散策してきたのですが、必要なものを徒歩で手に入れることができる、とても暮らしやすい環境があるなと感じました。歩道も広いし、オリンピックの選手村のような印象を受けました。
結城: 小平のコーチを務めさせていただきました結城と申します。涙、涙の11年間の後、負けなしの2年半。笑顔の瞬間もありましたが、最後の最後まで泣いたり笑ったりの18年間、良いときも悪いときもいっしょに頑張ってきました。どうぞ今日はよろしくお願いします。今朝、小平といっしょに私もあたりを歩いてきたのですが、生き生きとした躍動感のあるすばらしい街だなと感じました。
鈴木: こんにちは、R-bodyの鈴木と申します。みなさん、今日は120パーセント小平さんの話を聞くためにいらしていると思いますので、できる限り口を開かず、一聴講者に徹したいと思います。よろしくお願いします。いま、おふたりから街の印象をうかがいましたが、KOIL TERRACEのこの吹き抜けの空間もとても特徴的で、右手、1階から3階まで壁一面に設けられた書棚の書籍は閲覧自由、文学、旅、ビジネス、料理等、ジャンル別に精選された書籍が並べられ、定期的にアップデートされています。座り心地の良い椅子が置かれていますので、機会がありましたら、ぜひ、ゆったりした時間を楽しんでいただきたいと思います。
小平 奈緒(こだいらなお)長野県茅野市出身
社会医療法人財団慈泉会相澤病院所属
信州大学教育学部卒。中学2年生のときに、全日本ジュニア選手権スプリント総合部門で優勝。史上初の中学生王者となり“スーパー中学生”と呼ばれる。インターハイ500m・1000mの2冠獲得。全日本ジュニアでも優勝。国立信州大学に入学し、教育学部生涯スポーツ課程地域スポーツを専攻。大学2年次に全日本スピードスケート距離別選手権大会1000mで初優勝し、ワールドカップにデビュー。大学3年次にユニバーシアード冬季大会(大学生のワールドカップ)1500mで優勝。信州大学卒業後は社会医療法人財団慈泉会相澤病院に所属し、信州大学教育学部を拠点に活動。バンクーバーオリンピック、ソチオリンピックに出場後、2年間、オランダに留学。帰国後のシーズンから国内外の500mで2年半負けなしの37連勝を記録(ワールドカップは23連勝)。ワールドカップ種目別500m総合優勝2度。2018年、平昌オリンピックの500mで日本の女子スピードスケート史上初の金メダルを獲得。世界スプリントスピード選手権大会総合優勝2回。2022年10月、競技生活のラストレースと決めて挑んだ全日本距離別選手権女子500mで、ただひとり37秒台、この大会における自身3番目のタイム、37秒49秒の圧勝。8連覇13回目の優勝を達成。レース後、母校信州大学の特任教授に就任。
「そろそろ引退か?」から37連勝
“無敵”を育んだ5カ月間
小平: バンクーバーオリンピックで鈴木さんと初めてお会いしたんですよね。同じ長野県出身ということもあって、とてもあこがれていたモーグルの上村愛子さんのトレーニングを指導されているところに行き合って。
鈴木: 通常、冬季オリンピックでは、雪上の競技と氷上の競技は選手村が分かれるのですが、バンクーバーではいっしょだった。あのときは雪不足で、思うように滑る練習ができなかったんですよね。2010年ですから13年前、なつかしいな。
結城: 上村さんにエクササイズを指導しているところを、ぼくらもエクササイズをしながらずっと見ていたんですよね。『ああ、いい練習してるなあ』と。当時、エクササイズの多くは、スクワットのようにカラダを左右対称に使うものが多かったのですが、スケートはほとんどの時間、片足に乗り、斜め方向にカラダを使います。鈴木さんは、まさにカラダを斜めに使うエクササイズをたくさん持っていた。ひと目でほれこんでしまいまして『小平を見てもらえないかな。いや、大事な選手を抱えているし、スキーとスケートはシーズンが重なるからむずかしいだろうな』と。
鈴木: あのとき「もうスキーは十分でしょう、そろそろこっちに来てよ」と言われて、てっきり冗談だと。
小平: バンクーバーのつぎのソチオリンピックのあと、2年間オランダに留学して3月に帰国。そのすぐあとですね、初めてR-bodyの大手町店にうかがったのは。
結城: 上村さんが引退されたので、小平の面倒を見てもらえないかとお願いして。4月、たしか今日あたりの日だったんじゃないですかね。
鈴木: バンクーバーでかけられた言葉が、冗談でもありがたいなと頭に残っていて、そうしたらふたりで来てくれて、ああ本当だったのかと。うれしかったですね。
結城: 留学で強くなったと言われますが、じつはオランダでの2年間はすごく苦労したんです。2年目のワールドカップは一度も表彰台に上がれず、5位が最高。全日本選手権も8位。30歳になったし、ほぼ終わったな、周囲はそのような雰囲気で、新聞の取材も一度しかなかった。ところが帰国した年の9月から勝ち始め、結果的に37連勝することになるわけです。あの、みなさんが120パーセント小平の話を聞きにきていらっしゃるという鈴木さんの洞察にはまったく同感ですが、もう少し話してもいいでしょうか。
(3階まで吹き抜けの空間が、いかにも楽しそうな笑い声と弾けるような拍手で満たされる。以後、重ねて、重ねて)
結城: ありがとうございます。まず鈴木さんに長野の私たちの練習拠点でできるトレーニングのプログラムを、2種類作成していただいてこれを交互にやりつづけました。一度も休まなかったのは私の指示ではなく、小平の意志です。午前にA、午後にBに取り組んだ日もありました。約1カ月後、R-bodyに行ってチェックしてもらったところ、カラダに明らかな変化が見られたのでプログラムを更新。ひたすらそういう月日を積み重ねていった5カ月間でした。
小平: 提示されるメニューのひとつひとつが納得ずくでした。私のカラダの特徴や動きのくせ、痛みや違和感などについて、しくみと原因をしっかりと紐解いてくださったうえで、それを改善するためのトレーニングを示していただいたので、その私だけの道しるべに、もう本当にどっぷりはまりました。
結城: オランダから帰ってきたとき、アレルギーが原因でカラダがむくんでいただけだったんですけど、測定上はパーセントファット、体脂肪率がちょっと高くなっていた。それで鈴木さんに「これをちょっと落としたいんだけど」と相談したところが「結城さん、それはトレーニングの領域じゃありません。8割方食べるものですよ」。即答でした。うちに来ればなんでもよくなるわけではないという、ある意味、R-bodyの限界を示してくれたわけです。当時、ぼくに物を言ってくれる人が少なくなってきていたので、結城さん、それは違うと思いますと言ってくれたのはすごく大きくてありがたかった。
鈴木: その話、初めて聞きました。
結城: 初めて告白しました。
姿勢が改善されると
血流の滞りがなくなる
鈴木: コンディショニングという言葉が日本に広まり始めたのは、約20年前、R-bodyを立ち上げたころです。運動イコール鍛えることというイメージをお持ちの方も多いと思いますが、大切なのは鍛える前に体調、カラダのコンディションをしっかり整えること、そのうえで鍛えることです。このカラダを整える領域のことをコンディショニングと言っています。コンディショニングの方法はひとつではありませんし、人によって異なります。食べるものかもしれないし、寝る前のストレッチかもしれないし、睡眠時間の長さかもしれません。さまざまなコンディショニングの方法があるなかで、私たちトレーナーが関わっているのは、筋肉、神経、骨といった運動器と呼ばれるカラダの外側の部分を整えることです。
小平: スピードスケートは、前傾で中腰、つねに左回りで、たくさんのG(g-force=重力加速度)を受けながら滑走する競技ですが、こういう非日常的な動きばかりをやっていると、どうしてもカラダにかたよりが出て、人間の本来の機能のバランスが崩れがちになります。ですから競技の動きから離れ、カラダをニュートラルな状態に戻して整えることがとても大切で、リセットしないとパフォーマンスが落ちてしまうんです。
結城: しかも、崩れていることを、本人が気づかないケースが多い。
小平: はい。その意味でオランダから帰ってきて、結城先生にR-bodyとつないでいただいて、カラダを整えることの重要性に気がつけたことは私にとってとても大きなことでした。最初の3カ月ぐらいでカラダが一気に変わったんです、姿勢が改善されると、内臓が圧迫されなくなるのか、内臓の調子も良くなりました。カラダを整えることによって、血流に滞りがなくなっていく感覚が出てきて、代謝がめぐり始めました。変化の過程を実感し、すべてが良い方向に結びついていくことに本当に感動して、どんどんコンディショニングにのめりこんでいったという感じでした。
鈴木: 「姿勢が改善されると、血流の滞りがなくなる」、私たちの想定を超えた知覚です。小平さんの小平さんたるゆえんですね。これまで1000人を超えるトップアスリートがR-bodyを利用してくれましたが、共通しているのは私たちが用意したコンディショニング・プログラムをそのままなぞるのではなく、咀嚼して、自分だけのものにしてから取り組むということ。そのプログラムが自分のカラダにどのように働きかけるのか、どのように競技に反映するのか、自分の言葉に変換して理解することです。小平さんはその精度が飛び抜けて高い。知覚が本当に敏感で繊細ですよね。
小平: オランダに行ってつくづく思い知らされたのは『同じルールのなかで、こんなに体格の違う人たちと競わなければいけないなんて、フェアじゃないな』ということでした。だからといって、生まれ持ったカラダを取り替えることはできませんから、とにかく100パーセント使い切ることをいつも考えていました。そういう意味で、いつもカラダの声に耳をすまし、途切れることなく会話を重ねつづけました。
結城: 信州大学のスケート部には20人弱の選手がいましたが、最初に練習場にやってくるのはいつも小平でした。コンディショニングでカラダを整えてからトレーニングに入るためです。片足に乗って幅1ミリの歯の内側、外側、前、後ろを使う動きを組み合わせながら体重移動を行う。簡単に言えば、スケートとはそういう運動なのですが、そうしたスケート独特の運動に入る前に、カラダの状態を確認するわけです。下半身と上半身の連動、左半身と右半身の連動、前側と裏側の連動、屈曲系と伸展側の連動、あるいは右の上肢と左下肢といった対角の連動などを確認して、たとえば少し左の腰が引けるようであれば、コンディショニングでそれを整えてからトレーニングに入る。前日、どんなに練習で追いこんだとしても、小平がこうした1日の時系列をくずすことは一度もありませんでした。
小平: コンディショニングやダイエットをするとき、健康に気を遣っている人ほど、重要なことはがまんすること、制限することだととらえていることが多いと思いますが、がまんや制限ではなくコントロールだと思うんですよね。そして自分のカラダ、健康をコントロールする感覚を得ることができるのが、コンディショニングするという領域なのかなと私はとらえています。
結城: 外から言われてやるのではなく、たとえば『自分の意識下でカラダの動きをコントロールしたい』というような内発的な動機で動いている。『やらなければならない』からではなく『やりたい』からやる。だから一所懸命になれるし、つづけられる。変化が起きたとき、そこに小さな感動が生まれる。小平を見ていると、そう思います。
小平: 私自身の内観をアウトプットしようするとき、R-bodyのトレーナーの方はかならずそれにまっすぐ向き合ってくれます。しかも特定の方ではなく、全員がそうなんです。とにかく話を聞いてくれますし、わかろうとしてくれる。その安心感が、さらに私の内観を育ててくれているという感覚がありました。
結城: 内発的と言いましたが、本当に本人から湧き出てくるものがすべてだと思います。その湧き出てきたものに対してコーチがどのようにアプローチするか。方法は100通りも200通りもありますし、その日その日で変えなければいけなかったりするものだと思いますが、やはり選手の夢を感じながら、なんとか実現しようと努力することに尽きるのだろうと思っています。パワーを無駄遣いしていた小平が、より少ない力で氷をとらえるスケーティングにシフトしていったわけですが、重要なのは、その内観の変化を内観で終わらせず、言葉にすること、その言葉に共感できる仲間、コーチ、トレーナーがいること、それが内観をさらに育てていくのだと思います。小平はよく「知るを愉しむ」と言いますが、その愉しさもまさに人とのつながりのなかから生まれるものだと思います。
結城 匡啓(ゆうきまさひろ)北海道出身
信州大学学術研究院(教育学系)教授
スピードスケートの選手としてワールドカップ出場。筑波大学体育専門群を卒業、筑波大大学院体育科学研究科に進み、博士(体育科学)を取得。現在、信州大学学術研究院(教育学系)教授。財団法人日本スケート連盟 スピードスケート・ナショナルコーチ、財団法人日本オリンピック委員会情報・医・科学専門委員会委員を始め、さまざまな学会の理事を兼務。長野、ソルトレイク、バンクーバー、ソチ、ピョンチャン、北京と冬季オリンピック6大会に指導者として関わり、清水宏保、小平奈緒の金メダル獲得に尽力。8度に渡る文部科学大臣スポーツ功労者顕彰を始め、秩父宮スポーツ医科学奨励賞、バイオメカニクス学会奨励賞など、数多くの章を受賞。
限界を超えた先に
“没頭” “夢中”という世界がある
結城: 私が現役のときからやってきた、ちょっととんでもない練習があるんです。いまで言うと根性練習。見たら本当にびっくりすると思います。スクワットでマックスの70パーセントというと、15回やれるかどうかという重さですが、それを90秒のインターバルで15回×20セットやるんです。
鈴木: 小平さんの70パーセントは何キロぐらいですか?
結城: 当時、100キロぐらいからスタートしたと思います。
鈴木: 100キロ!
結城: はい。マックス120~130キロの人が100キロを15回上げると、普通はそこでオールアウト、出し切ってもうこれ以上できませんという状態になりますが、90秒後にもういっちょう行くぞ、と。とんでもないと言えばとんでもない練習ですが、しかし体幹の絶対的な筋肉量が不足している日本人にはそういうトレーニングが必要だとぼくは思っていたし、いまもそう思っています。15回×20セットでだいたい45分、シャフトですれて、白いTシャツの襟元が赤くなってくる。このトレーニングをやった直後に小平は留学したのですが、オランダのコーチに『結城から体罰を受けているんじゃないか』と思われまして。(笑)
小平: いきなりやったらそれこそ体罰になってしまうかもしれませが、カラダがコンディショニングで整っているから壊れないし、限界を超えるトレーニングをすることができる。私が突き抜けることができたポイントのひとつがそこにあったんじゃないかなと思います。限界を超えた先に “没頭” あるいは“夢中”という世界があるのですが、自分ができる範囲でトレーニングしていると、それは見えてきません。R-bodyと私たちのトレーニングがリンクするところにその世界への足掛かりがあるのかなと思います。
鈴木: 見ているわれわれの感動もまた、その限界を突き抜けた世界から生まれるのでしょうね。1ファンとしてそう思います。
結城: 小平がオランダから戻ってきたとき、最初にやった練習が、じつはこのスクワットでした。みなさん、私のことが科学的でもなんでもない、ただの鬼に見えてきているかもしれませんが、小平のリクエストだったんですよ。「先生、練習が足りないんです」と。
鈴木: フィジカルなコンディショニング以外で、日常的に気をつけていたことはありますか。
小平: 日常生活でも睡眠時間や食事についてはあたりまえのように気を遣っていました。極力外食を避け、栄養士の方にアドバイスをいただいてつくるようにしていました。アスリートとしてもうひとつ踏みこんだところで意識していたのは数値です。基本的にアスリートはがんばることが得意なんですよね。でも、がんばれてしまうが故に、疲れているのかどうかということを見失ってしまうときがある。だから毎朝、パルスオキシメーターでSpO2酸素飽和度を測ったり、体温や脈拍数などを測ったりするなどして、カラダの状態を数値を通して客観的に把握するよう心がけていました。
結城: オリンピック選考会と全日本選手権はかならず長野市にあるオリンピック記念アリーナ、エムウェーブで行われることになっているので、私たちは合宿をする必要がありません。食事をしてから試合会場に行くことになりますから、食事をつくることも競技力になる。信頼している栄養士の方の講義を受け、買い出しに行き、成分表や価格を見て購入し、男女問わず全員で調理実習。5人ぐらいのチームに分けて、同じ料理をつくり、どれがいちばんおいしいかを競う。そのようにして信州大学スケート部レシピを毎年7、8種類、新しくつくるようにしています。
小平: 先生の話に出たように、私が遅発型フードアレルギーだということを知ったのはオランダに行ったときでした。卵、小麦粉、乳製品といった毎日のように食べていたものが、じつはカラダに合わず、アレルギー反応からくる炎症を起こしていたのです。そうしたものを排除して、同じような栄養素を持つ食材をとるようにしたところ、2週間ぐらいでカラダのむくみが消えました。本当に十分すぎるほどの手応えがあったので継続したところ、カラダの中の循環によどみがなくなって、意識も含めてすべてをプラスに持っていけるようになりました。これも、先ほど言いました制限やがまんではなくコントロール、食事によるコンディショニングなのだと思います。
鈴木: トレーナーの立場から今日、みなさんに持って帰っていただきたい言葉がふたつあります。そのひとつが“トータルコンディショニング”。先ほど、コンディショニングはひとつではないし、人それぞれだと言いましたが、最近、提唱されているのが、小平さんのように複数のコンディショニングを包括的に行いましょうということです。“トータルコンディショニング”、この言葉もまた、この先、耳にすることが多くなると思います。
他者の視線を通して
自分の物差しの狂いを調整する
結城: ひとついいですか。私、先ほど、カラダを整えることがスケートのトレーニングに生きると言いましたけれど、氷の上で得た良い感覚がなければ、コンディショニングと競技力はリンクしません。それぞれのスポーツ独特の感覚ありきのコンディショニングだということです。野球であれば、ボールが指に引っかかる感覚やバットの芯でボールをとらえる感覚があって、初めてカラダを整えるエクササイズに意味を持たせることができる。ですから、スケート選手は、まずスケートをたくさん練習しなければいけない。そして氷の上で得た良い感覚の再現性を高めようという段階に入ったとき、カラダを整えるということが必要になってくる。ぼくはそう思っています。
鈴木: それぞれのスポーツ独特の感覚ありきのコンディショニング、まったくその通りだと思います。みなさんも、コンディショニングを始める前に、まずは楽しめるスポーツ、運動を見つけてください。強度が高いものでなければならない、器具を使わなければならない、がんばらなければならないという条件や制約はありません。テニスでもいいし、ハイキングでもいい。なぜ運動が先かというと、コンディショニングそのものは、決しておもしろいものではないからです。テニスのために、ハイキングのためにという目的がなければつづけることができないほど地味です。よく「さあ、みなさんごいっしょに!」といった、いかにもおもしろそうなエクササイズのコマーシャルを目にしますが、つまらないものをおもしろくすることはできません。仮にできたとしても表面的なもので、すぐに飽きが来ます。私たちR-bodyの役割は、コンディショニングを行う意味を納得していただくこと、スポーツや運動を楽しみ、ライフスタイルをより豊かにするためには、こういう理由でこういうことをする必要があるという文脈を提示することにあると思っています。
小平: 私がコンディショニングにのめりこめたのは、まさにその文脈を腑に落としてくれたからでした。
鈴木: 小平さんにとってのスケートにあたるものを、ぜひとも見つけていただいて、コンディショニングをやる意味、意義をつかんでいただければと思います。
結城: 競技ありきのコンディショニングと言ったとき、ちょっと余計なことを言ってしまったかと思ったんですけど、すごくいい流れになりましたね。
小平: 生きた学びでした。
結城: 打ち合わせをしていないんですよ、みなさん。
小平: R-bodyに来ているのはトップアスリートばかりではありません。むしろほとんどが一般の方々です。同じフロアでいっしょにコンディショニングをするのですが、こっそり観察すると、その方たちのレベルがとても高い。すごく自分自身のカラダに興味、関心を持っているなと感じるんです。そしてトレーナーの方が、カラダの痛みや違和感を改善したいという思いにしっかり向き合っている。痛みや違和感の原因を見抜く眼力、改善する方法バリエーションをたくさん持っている。私自身そうですが、正しいと思ってやっていても、違う角度から見ると、物差しがちょっとずれているときがあるんですよね。たとえば、地面に対してまっすぐ立つことを意識していて、できているつもりでも、トレーナーの方の目を通して見たときに、ちょっと左の腰が上がっていたり、右の腰が落ちていたりしている。アドバイスに従ってそれを修正していく過程で、姿勢だけではなく、自分の物差しそのものもキャリブレーション(調整)される。ハイパフォーマンスを求めるコンディショニングとライフパフォーマンスの向上をめざすコンディショニングの共通点がここにもあるのかなと思います。
鈴木: 『あっ、小平さんが来ている!』『サインもらえないかな』といった浮き足だった雰囲気がまったくありませんよね。『小平さんだと、わかっているのかな?』と思ってしまうほど、みなさん、いつも通りのコンディショニングをされている。
小平: みなさん、自分のカラダと向き合うことに集中していますよね。
鈴木: 一般の方がトップアスリートのコンディショニングに注目するのではなく、逆に、いま小平さんが言われたように、トップアスリートが一般の方を見て、トレーナーに「あの方、あの動作めちゃくちゃうまいですね」と。アスリートの方の学びの深さに感心させられ、一般の方々の取り組み方にリテラシーの高さに感心させられ、そういう空間と文化にいつも心地の良さを感じさせられています。
小平: 私ができない動作を完璧にこなしている方もいて、そこにリスペクトが生まれるんですよね。
鈴木: 先ほど、小平さんが言われたハイパフォーマンスとライフパフォーマンス、これが、今日、みなさんに持って帰っていただきたいもうひとつのキーワードです。ハイパフォーマンスというのは小平さんのように世界一をめざすトップアスリートのパフォーマンス、ライフパフォーマンスは一般の方々が生活する上で必要なパフォーマンスです。いま、日本で、オリンピックレガシーとして“ハイパフォーマンスからライフパフォーマンスへ”、つまりハイパフォーマンスをめざす現場で行っていることをライフパフォーマンスに還元しようという動きが始まっています。私たちR-bodyは、お客様への約束、バリューとして「ホンモノを身近に」という言葉を掲げています。これまで小平さんを始め、トップアスリートに提供してきたコンディショニングの知見をより多くの一般の方々に広げようということで、まさに“ハイパフォーマンスからライフパフォーマンスへ”に20年前から取り組んできました。 今後、“ハイパフォーマンスからライフパフォーマンスへ”という言葉を耳にした会員の方は、トップアスリート文脈のサービスをすでに受けていると受け止めていただければと思います。
鈴木 岳.(すずきたけし)東京都出身
株式会社R-body 代表取締役
大学卒業後、アメリカに留学し、全米公認アスレティックトレーナー(NATA-ATC)の資格を取得。1997年に帰国し、全日本スキー連盟フリースタイルスキー・ナショナルチームのトレーナーに就任。ソルトレイク、トリノ、バンクーバー、ソチと冬季オリンピック4大会に帯同。夏季オリンピックのロンドン、リオデジャネイロオリンピックにおいて、日本代表選手団本部メディカルスタッフとして活動。東京オリンピック・パラリンピックでは、選手村内のフィットネスセンターのマネージャー兼チーフトレーナーとして世界各国のアスリートをサポート。2003年株式会社R-bodyを設立。東京都・大手町、千葉県・柏の葉でスポーツ運動療法施設を運営。同時に、トレーナー育成のためのR-body ACADEMYと国内外の病院、治療院、フィットネスクラブの施設運営サポートを主とした共創ビジネス事業を展開。また、北海道東川町を始め、全国の地方自治体と連携し、健康な街づくりにも従事。
ティーチング、コーチングを
超えたところにある関係
鈴木: トレーナーとして仕事を始めてから25年、引退していく選手と話をする機会が増えてきました。メダルを取りに行く選手との話もとてもわくわくさせられますが、新たな人生に向かう方の話をうかがうことも、トレーナー冥利に尽きます。おふたりの話はコンディショニングの枠を超えて、多分に哲学的で、生き方そのものに関わるものだと一聴講者として強く感じています。ところで、小平さん、どうしても結城先生の下で学びたいと、スケート部の無い高校の進学コースに進み、信州大学だけを受験したとうかがいましたが。
小平: はい。私が結城先生のことを知ったのは、長野オリンピックが開催された1998年の冬でした。清水宏保選手のコーチをしていた先生がテレビでスケートのサイエンスについて話されていたのですが、小学5年生の私でも理解できるほどわかりやすかった。『こんな理論を持っていて、こんなことを研究している人がいるんだ、私の知らない世界がこの人のところにいっぱいあるんだ』。それまでスケートを教わるということがなかったので本当にわくわくしました。この人のところに行きたい、教わりたいと心の底から思って、中学校3年生のとき、進路についての調査票の希望する高校を書く欄に信州大学と記入したら、先生に「まずは、高校に行きましょう」と言われてしまって。
結城: 1999年に信州大学に移ることになり、長野へ行って驚いたのはオリンピックが行われたリンクがほとんど使われていないということでした。現実を変えるには時間がかかると思い、すぐジュニアクラブをつくりました。その子どもたちを引率して小学生の大会に行ったときです。6年生で、大会記録を出した小平奈緒というすごく速い子がいるということを聞いたのですが、どの子が小平奈緒なのか、そのときはわかりませんでした。実際に小平のレースを見たのは、500メートルで2位になった高校1年生のときのインターハイです。『すごく馬力がある子だな』と思いましたが、正直なところ、あんまり上手じゃなかった。そしてその後、高校3年生でインターハイの500メートルと1000メートルの2冠を取り、全日本ジュニアも勝って信州大学にやってきたわけです。
小平: いざ受験するとなったときは、気持ちが悪くなるほど緊張しましたが、なんとか結城先生のところでスケートができることになりました。
結城: 間近で滑りを見たとき、最初に思ったのは『これでは世界に出ていくことはできないな』ということでした。パワフルだけど進まない。カラダの軸で氷に力をピシッと伝えることができず、スケートが逃げてしまっていた。「ナオ、滑りを変えないと厳しいぞ」。そう言ったら、めちゃくちゃニコニコしているんです、待っていましたという感じで。
小平: ベクトルが上向きだったんでしょうね。サイエンスにたどりつくことができて。
結城: しかも口ぐせのように世界、世界と言っていた。『ちょっとおかしいんじゃないかな、この子。その滑りではだめだと言っているんだけどな』と。
小平: とにかく世界で戦える選手になりたくて、世界しか見ていませんでした。全中で優勝しても、インターハイで優勝しても、日本一にはまったく興味を持てなかったんです。そうしたら先生が「あんまり世界、世界と言うな」と。
結城: それはそうですよ、見えないほど世界は遠かったですから。ところがです、入学から9カ月後、1月の練習でポンと化けたんです。17年前の光景ですが、いまも頭の中で鮮やかに輝いています。氷の上で力比べをするような、ぼくたち特有のエクササイズがあるのですが、それをやった直後に1本滑ったら、本当に素晴らしい伸びを見せた。『ああっ』と思って「いまのだよ、ナオ、いまの滑りだよ」と言ったら「先生、なんか感じが違いました」。それから2カ月後、3月のカナダで「カナダの選手を見ていると、先生の言葉がわかります」「オランダの選手の感覚が理解できます」というようなことを言い出して、誕生日がもう1カ月遅ければ世界ジュニア記録に相当するタイムを記録。そしてその10カ月後、大学2年生で全日本選手権初優勝を果たし、ワールドカップにデビュー。世界、世界って言うなと言って、大変失礼しました。
小平: そのカナダでのレースの後、もう少し滑りたいなという気持ちはありましたが、もうシーズンも終わりだったんですよね。でも変わり始めたことがきっかけで、つぎの夏になにをやればいいのかということが明確になり、そこから迷いなく、思いきりがんばれるようになりました。
結城: めざすレベルといま現在のレベルの開きが大きくても、変化しそうだなとか、ちょっと伸びてきているなという実感があるときはすごくがんばれる。逆に、変化している実感を持てないときは、目標とするところがすぐ目の前にあっても、手の打ちようがない感じに陥りがちです。
小平: 成長している自分をイメージできたり、明るい未来のイメージを抱くことができたり、先生はいつもそんな仕掛けをしてくれましたね。
結城: 『あっ、それ、やってみたい』と思ってもらえるものをつねに用意しておくこと、タイミングを見計ってそれを示すことをいつも心がけていました。たとえば、大事な試合の前の日、練習の帰りに「来年、こういう練習をしようと思うんだよな」と。たとえ負けても『そういえば先生、昨日、来年こんな練習するって言っていたな、それやれば活路を見い出せるかな』と思えるようなことを渡しておくわけです。逃げ道を作るということではなく、その先にあるものを前もって示すということが小平に対する私の仕事かなと思っていました。緊張をやわらげるという意図も半分ありましたが。
小平: あったんですね、そういう意図も。
結城: 意外とプレッシャーを感じるほうだったんじゃないかなと、近くにいて思っていました。本人は「プレッシャーはありませんでした」なんて言っちゃっていましたが。
鈴木: 大切なのはティーチングではなくコーチング、介入を抑えて、選手自身に考えさせて伸ばすという話をよく聞きますが、おふたりの話は、その上のレベルの話ですね。
結城: 小平は自分でやれることをやり尽くしていたので、さらに上に行くためには、外から手を差し伸べることが必要でした。ほかの選手は、まだまだ自分で考えてやれることがあるので、ぼくはなにもしません。
小平: R-bodyとつないでいただいたり、興味深い論文を「読んでみたら」とポンと渡されたり、学びの仕掛けを絶妙なタイミングでくれるところが結城先生のすごいところだなと思っています。いつもがばっと食いついて、知的好奇心がかきたてられて、ここまで来ることができたと実感しています。
結城: 選手に勧めるのは、なによりも自分がおもしろいと思うからです。清水宏保には、たとえば馬の走り方やチーターの走り方を提案しました。シャクトリムシの動きのような体幹の使い方が興味をひかれたからです。バンクーバーで鈴木さんと上村愛子さんの練習を見ていて、自分が選手だったらぜひやってみたいと思い、だから小平に勧め、つなぎました。おいしいと思わないのに、これ食べてごらんとは言えないですよね。日本人はよく、つまらないものですけどと言いながら差し出しますが。
小平: とにかく話を聞いてくれますし、わかろうとしてくれますよね、先生は。その安心感が、さらに私の内観を育てていってくれているという感覚がありました。
結城: たとえば理論的によしとされているものに小平がチャレンジしてみる。こうかな、ちょっと違うな、今度はどうだろう。いろいろなことを試し、工夫を重ね、ある瞬間、パッとひらめいて表現できるようになる。その瞬間に立ち会い、そうだよねと共感できることほどわれわれコーチにとって気持ちの良いことはないと思います。
小平: 鈴木さんもここは大事だな、ポイントだなというときは、トレーニングに立ち会ってくれましたね。私たちの拠点まで足を運んでくださって。
結城: R-bodyのような立派なトレーニングジムではなくて、手作りの物置みたいなところに。それに、どう見てもトレーニングを指導する格好じゃない。『あっ、きっとなにかの会議から駆けつけてくれたんだな。着替える時間もないぐらい忙しかったんだな』。頭が下がる思いでした。
Q&A
Q.どのようにしてメンタルをコントロールしていましたか?
小平: 最近、さまざまな競技でメンタルトレーナーをつける選手が増えていますが、私はつけようと思ったこともメンタルトレーニングをしたことも一度もありません。どのようにして問題や障害を乗り越えてきたのかと考えたときに、なにより大きかったのは結城先生という存在でした。話を聞いてくれる人が近くにいてくれたことが最大のメンタルコントロールになっていたと思います。もうひとつ、カラダを整えることは心を整えること、実感としてそう思います。最近、よく取り上げられる“脳腸相関”は腸の調子が脳にも影響しているということで、カラダと心の関わり合いを表す言葉のひとつだと思います。心が落ちているときは、心をなんとかしなくてはと思うものですが、メンタルトレーナーに頼るのではなく、まずはカラダを見直す。これもトータルコンディショニングということかなと思います。
結城: 勝つことを目標にしていた選手は、勝利を手にすると、往々にしてそこで満足しがちです。小平はどうだったのかというと、最初、勝てなかったときは、いま振り返れば、やはり勝ちたかったのだろうなと思いますが、勝てるようになり、つづけて勝てるようになってからは勝つことだけがモチベーションではありませんでした。2位をどれくらい引き離せるか、あるいは男子とのタイム差を意識するレベルで滑っていました。さいごのほうは、だれが小平を破るのか、オランダなのか、アメリカなのか、ロシアなのか、韓国なのか、そういう雰囲気で、勝っても、おめでとうと言ってくれる人は、外国のコーチも含めてひとりもいませんでした。
Q.トップアスリートとしてのキャリアをどのように生かしていこうと考えていますか。
小平: 『私、これをめざしてきたんじゃないな』。金メダルを取ったその日にそう思いました。勝って名誉を手に入れることが豊かなのかと考えたとき、そこにそれほど豊かさを見いだせなかったのです。ですから金メダルそのものに対してはさっぱりした気持ちだったのですが、金メダルを取ったことに対して、喜んでくれる方々、涙を流してくれる方々を前にしたとき、心から思いました。私が望んでいたのはこういう場にいることだったのだと。これから地域の中で活動しますが、やはりこれまで経験してきたことを還元していきたい、そのひとつとして、人、笑顔、喜び、勇気をつなぐことならできるのではないかなと思っています。私はアスリートとして闘争心旺盛ではありませんでした。できれば競争したくないタイプの人間なので、そういった少し柔らかい雰囲気なども、みなさんと共有できる存在になれればいいなと思っています。いままでは運動が日常生活のメインにありましたが、これからはそうではなくなります。社会に飛びこんで、働くなかで、ライフスタイルの時間軸にカラダを動かす機会をつくっていかなければなりません。周囲の人たちと、カラダを動かす、健康につながる軌道を描き、それを循環させることも、できればやっていきたいと思っています。
Q.先達に対してはどのような思いを抱いていましたか。
小平: 先達の方々がいたからこそいまの私がある、という思いはつねに心にありました。とりわけ大きかったのは、長野オリンピックでの、清水宏保選手の存在です。あの小さなカラダで、大きい人たちと競い合い、道を切り開いてくれたことに、将来の自分を重ね合わせ、追いかけて行ったというところがあります。これからは私も子どもたちに対してその役割を果たすことができればと思います。
結城: 卒業生を送り出すような気持ちで小平を見ているのですが、私個人は大きくふたつ期待しています。ひとつは今日のこの場のように、小平がその人間性を世の中にそよ風のように吹きこんでいくこと。もうひとつは、エースと呼ばれる選手が悩んでいるときに、相談に乗る存在になること。期待や応援などに押しつぶされてしまうシーンをこれまで数多く見てきましたが、小平は日本チームのキャプテンという立場でプレッシャーをはねかえしました。エースにはエースにしかわからない苦悩、乗り越え方があります。これから小平も先達としてその経験を伝えて欲しいと思います。
Q.モチベーションを支えていたものはなんですか?
小平: ひとことで言えば、生きるということです。親から授かったこのカラダで命尽きるまで豊かに生きること、それが私のモチベーションであり、私の人生を作っていると思います。スケートはそれを表現するための手段のひとつです。ストレスを感じることが多いこの世のなかで、生きることに疲れたり、命を絶ってしまったりする人もいますが、スケートを通して生きているという姿を表現することによって、だれかの心が救われるといいなという思いを持ちながら競技をしてきました。スポーツのトップの選手は、カラダや心をボロボロにすり減らした状態で引退することが多いと思いますが、私はそうではありたくなかった。このカラダを最後の最後まで生き生きと使いたい、使いこなしたいという思いがありました。たまたま北京オリンピックの1カ月前に足首を捻挫して、大事な4年間を棒に振ってしまいましたが、そこで引退しなかったのは、そういう思いがあったからです。
みなさんと言葉を交わすなかで、学びを編むことができて、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。これからは競技者である自分から離れ、みなさんと同じ地域の中の一員として生活していくわけですけれども、新たな視点が私のなかにも生まれてくると思いますので、その歩みをみなさんと共にできたらいいなと思っています。ライフパフォーマンスを豊かにしていけるように、楽しんでいきたいと思いますので、みなさんもいっしょに楽しんでいただけたらなと思います。今日は本当にこんなに大勢の方にお集まりいただいて、たくさんお話しさせていただいて、ありがとうございました。
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